スケート歴32年のボード遍歴(7)最終章

スケート歴32年のボード遍歴(7)最終章

前回は僕の高校1年秋までに乗っていたボードについて書きました。こっから今の自分に繋がることに、、、なるのです。


ハワイで買ったNATASパンツにTHRASHERのTシャツに同じくTHRASHERのニットキャップにNATAS101のボード。
あからさまに好きなもので統一しているのは今も昔も同じ僕のこだわりのようです(笑)
そして僕はこれ以降一度も新品のプロモデルボードをお店で買うことなく現在に至るのです。
それが「スポンサー」を獲得するということでした。
Z roller truckを開発したアメリカ西海岸VENICE BEACHに拠点を置く「Z PRODUCTS」

特殊なトラックの制作やスリックスキンやスキンレイルといった超個性的なプロダクトの数々を生み出すカンパニー。

たまたま出会った憧れのライダーと同じチームに入れることになるとは、、、ね。






↑生まれて初めてスケボーで掲載してもらった雑誌

↑生まれて初めて自分がZ-PRODUCTSの広告になった

↑生まれて初めてプロライダーとして見開きページのインタビューが掲載された

↑生まれて初めてZ-PRODUCTSから自分のシグネチャーボードが発売された
↓デザインは中野サンプラザの写真にボブディランの「時代は変わる」の詩を友人のライター「JUMPIN」にオリジナルタイポグラフィで描いてもらった。



こうして現在まで僕が乗ってきたボード達は僕にスケートを続けさせてきました。
子供の頃はNATAS命で一途になっていました。今もNATASは大好きですが、実はNATASもVENICE BEACH出身のスケーター。
Z-BOYSを育てたSKIP ENGBLOM氏が手塩にかけて育て上げたZ-BOYSの血統を引くライダーが故、常に彼の滑りは新しかった!

↑ちなみにNATASの写真で1番好きな写真がかの有名なスケートフォトジャーナリストの頂点に居続けるGRANT BRITAIN師が撮ったこの写真。
↓そしてさらにZ-BOYSを遡るとこれぞ本家本元、正真正銘のオリジナルに辿り着くわけです。

↑あまりにも有名なJAY ADAMS師のphoto by GREN E FRIEDMAN これぞZ-BOYS。
↓そしてこのCHRIS HOOTEN師が撮ったJAY ADAMS師の生前最後の公の場でのスケート写真。スケーターとしての生き方を教えられているような写真です。

そしてあくまでも自分自身のスケートを追求する姿勢を変えなかったJAY ADAMSの象徴的な写真が、、、
10フィートはあるであろうボウルにあくまで下から狙うレイドバックグラインド。完全にサーフィンの動き。

そして昨年このJAY ADAMSを原点としたZ-FLEX / Z-BOYSの「復活」を意味する「REGENERATION」という企画が持ち上がり、
自分を新たに正式なライダーとして迎え入れて頂き、ここで新たにZ-FLEX JAPANが始動したのです。

自分のスケートとは自分の思い描く未来のスケート走法を実践すること。かつてZ PRODUCTSがオリジナルのプロダクトにこだわっていたように、
自分も自分の滑りにこだわりを持って今後もその姿勢を追求していきたいと思うのです。それが僕自身がZ-PRODUCTS、そしてZ-BOYSに学んだスケーターの精神だと思うから。
新たなZ-FLEX JAPANの動きに是非注目して下さい。自分も44歳ですがまだまだやってやります。
世界のスケートシーンや流行に怖じけず、そして自分以外の誰にも合わせない自分自身の思い描く滑りを以て、凝り固まった価値観のど真ん中目掛けて、常に風穴を開けてやりたいと思うのです。